高尾山薬王院有喜寺は、奈良時代の744年(天平16年)に行基菩薩が開いた、1200年以上の歴史を持つ古刹です。南北朝時代に俊源大徳が飯縄大権現を感得して中興し、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川幕府や紀州徳川家の保護を受けて栄えました。富士山信仰とも深く結びつき、境内には富士浅間社が祀られています。このページでは、薬王院の歩みを年表とともに、開山・中興から権力者との関係、富士講とのつながりまで詳しく解説します。
高尾山薬王院の歴史年表
| 時代 | できごと |
|---|---|
| 744年(天平16年) | 聖武天皇の勅命により行基菩薩が開山。薬師如来を本尊とする |
| 永和年間(1375年頃) | 俊源大徳が入山し、飯縄大権現を感得して中興。修験道の道場に |
| 天文年間(1532〜1554年) | 後北条氏康が富士浅間大菩薩を勧請(富士浅間社の起源) |
| 永禄3年(1560年) | 後北条氏康が薬師堂修理のため寺領を寄進、軍勢の乱暴を禁じる制札を出す |
| 江戸時代 | 徳川幕府から朱印地を与えられ保護を受ける。紀州徳川家の信仰を集め、富士講も隆盛 |
| 現代 | 真言宗智山派の大本山として参拝者を集める(関東三大本山の一つ) |
※年表は薬王院公式サイトを参考にまとめています。高尾山全体の通史は高尾山の歴史もご覧ください。
開山と中興|行基菩薩と俊源大徳
薬王院は行基菩薩の開山に始まり、俊源大徳の中興で今日の信仰の形が築かれました。744年、聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩が、東国鎮護の祈願寺として薬師如来を本尊に開創しました(「薬王院」の名の由来)。その後、南北朝時代の永和年間(1375年頃)に京都・醍醐寺から入山した俊源大徳が、厳しい修行の末に飯縄大権現を感得。以来、薬王院は修験道・山岳信仰の道場として歩むことになります。
戦国〜江戸時代|権力者との関係
薬王院は時の権力者の保護を受けながら勢力を広げました。戦国時代は寺領の寄進・保護、江戸時代は祈祷や再建支援へと関係が発展します。
- 戦国時代(後北条氏):永禄3年(1560年)、後北条氏康が薬師堂の修理費として寺領を寄進し、戦乱の際には霊域を守るため軍勢の乱暴を禁じる制札を出しました。高尾山を信仰の対象であると同時に、戦略上の要衝として重視したことがうかがえます。
- 江戸時代(徳川幕府・紀州徳川家):徳川幕府から朱印地を与えられ保護を受けました。八代将軍・徳川吉宗以降は紀州徳川家の信仰を集め、吉宗は享保の改革にあたり飯縄大権現の加護を期待して「八千枚護摩供」の大法を依頼したと伝わります。
富士山信仰との関係|富士浅間社と富士講
薬王院は富士山信仰とも深く結びついています。戦国時代、後北条氏康が天文年間(1532〜1554年)に高尾山へ富士浅間大菩薩を勧請したのが、奥之院裏にある富士浅間社の起源とされます。江戸時代には庶民の間で富士講が隆盛し、高尾山は富士山への「前立ち」として信仰を集めました。富士講を広めた食行身禄が示した富士山道中のルートには高尾山が組み込まれ、多くの富士講信者が立ち寄って参拝したと考えられています。
よくある質問(FAQ)
Q. 高尾山薬王院はいつ開かれましたか?
744年(天平16年)、奈良時代に聖武天皇の勅命で行基菩薩が薬師如来を本尊として開創したと伝わります。1200年以上の歴史があります。
Q. 薬王院を中興したのは誰ですか?
永和年間(1375年頃)に京都・醍醐寺から入山した俊源大徳です。飯縄大権現を感得し、修験道の道場として再興しました。
Q. 戦国・江戸時代の薬王院はどうでしたか?
戦国時代は後北条氏康の寺領寄進・保護を受け、江戸時代は徳川幕府の朱印地と紀州徳川家の信仰を集めました。吉宗は八千枚護摩供を依頼したと伝わります。
Q. 境内に富士浅間社があるのはなぜですか?
戦国時代に後北条氏康が高尾山へ富士浅間大菩薩を勧請したのが起源とされます。奥之院裏に祀られています。
Q. 高尾山と富士講の関係は?
江戸時代、富士講が示した富士山道中のルートに高尾山が組み込まれ、富士山への「前立ち」として多くの信者が参拝したと考えられています。
まとめ
高尾山薬王院は、744年の行基菩薩による開山、1375年の俊源大徳による中興を経て、戦国の後北条氏、江戸の徳川幕府・紀州徳川家の保護のもとで栄えた1200年以上の古刹です。富士山信仰とも結びつき、境内の富士浅間社や富士講の歴史にその名残を残します。歴史を知って参拝すれば、薬王院の見どころがいっそう味わい深くなるはずです。参拝順路は薬王院 完全ガイドをどうぞ。
※本記事の情報は2026年6月時点のものです。最新情報は高尾山薬王院 公式HPをご確認ください。


