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「六根清浄」とは?読み方・意味と高尾山で唱える理由

六根清浄石車 火渡り祭
六根清浄石車

「六根清浄」は「ろっこんしょうじょう」と読み、眼(視覚)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)・舌(味覚)・身(触覚)・意(意識)の六つの感覚を清らかに保つことを意味する、仏教由来の言葉です。

修験道の聖地として知られる高尾山では、薬王院の護摩修行や登山の掛け声として、今もこの言葉が息づいています。

この記事では、読み方・意味・「どっこいしょ」との関係、そして高尾山のどこで出会えるかまで、わかりやすく解説します。

「六根清浄」の読み方と基本の意味

読み方は「ろっこんしょうじょう」

「六根清浄」は「ろっこんしょうじょう」と読みます。「六根」の「根」は「こん」と濁らず、「清浄」は日常でよく使う「せいじょう」ではなく「しょうじょう」と読むのがポイントです。

一言でいうとどんな意味?

「人間が持つ六つの感覚を清めて、煩悩から離れた澄んだ心を保つこと」を指します。仏教では、感覚を通して入ってくる情報が欲望や迷いの原因になると考えられてきました。それを意識的に「清める」ための祈りの言葉として、古くから伝わっています。

「六根清淨」との違い

旧字体では「六根清淨」と書きます。意味はまったく同じで、古い書物やお寺の額・石碑などでは今でも「淨」の字が使われていることがあります。検索するときはどちらの表記でも同じ情報にたどり着けます。

「六根」とは何か ― 六つの感覚

「六根(ろっこん)」は、人間が外の世界と接する六つの窓口を指します。

六根意味現代の言葉で
眼(げん)視覚見ること
耳(に)聴覚聞くこと
鼻(び)嗅覚匂いをかぐこと
舌(ぜつ)味覚味わうこと
身(しん)触覚触れて感じること
意(い)意識・心考えること、思うこと

一般的に言う「五感」に、心の働きである「」を加えた六つが「六根」です。仏教では、これら六つの窓口から入ってくる刺激との接触が、執着や煩悩を生む原因と考えられてきました。

「清浄」が意味するもの

「清浄(しょうじょう)」は、ただ「きれい」という意味ではなく、「汚れを落とした、清らかな状態」を意味する仏教用語です。

日々生活していると、見たもの・聞いたこと・味わったものに心が揺らぎ、欲望や怒り、比較や執着といった煩悩が生まれます。それらを一度リセットし、澄んだ状態に戻すこと。それが「清浄」という言葉の核にあります。

「六根清浄」とは、つまり「六つの感覚を通じてたまった心の曇りを払い落とし、穏やかで澄んだ自分に戻る」ための祈りの言葉なのです。

なぜ高尾山で「六根清浄」を唱えるのか

修験道(しゅげんどう)と山岳信仰

日本には古くから、山そのものを神仏が宿る聖地と考え、山に分け入って修行することで悟りに近づこうとする「修験道」という実践があったと言われています。役行者(えんのぎょうじゃ)を開祖とし、神道・仏教・民間信仰が融合した独自の宗教文化です。

修験道では、山に登ることそのものが修行。そして山中で唱えられる代表的な言葉の一つが「六根清浄」でした。「一歩一歩、六つの感覚を清めていく」という意味が、登拝(とはい)の行為と自然に重なるのです。

高尾山薬王院は関東有数の修験道の霊場

高尾山の山腹に建つ[[高尾山薬王院 完全ガイド]](正式名称:高尾山薬王院有喜寺)は、真言宗智山派の大本山の一つで、御本尊は飯縄大権現(いづなだいごんげん)。天平16年(744年)に行基菩薩によって開創されたと伝えられ、修験道の行場として約1,200年の歴史を持ちます。

現在も毎日護摩修行が行われ、山伏姿での法要や修行が続けられている、全国でも貴重な「生きた修験道の霊場」です。境内では「六根清浄」が刻まれた石碑や、護摩の読経の中でこの言葉に出会うことができます。

登拝の掛け声として

修験者(山伏)が山を登るとき、呼吸に合わせて「六根清浄、お山は晴天」と繰り返し唱える習慣があると言われています。これは単なる掛け声ではなく、歩みと呼吸を整え、心を登拝の場に集中させる実践的な「動く瞑想」でもありました。

「どっこいしょ」の語源は六根清浄?

重いものを持ち上げるときや、立ち上がるときに自然と出る「どっこいしょ」――実はこの言葉、「六根清浄」が訛って生まれたという説があります。

「ろっこんしょうじょう」が短縮・口語化の過程で「どっこいしょ」に変化した、という説です。修験者が山を登るときに繰り返し唱えていた言葉が、庶民の日常の動作に残ったと言われています。

ただしこれには諸説あり、「どっこいしょ」は「どっこい=押し戻す・押しとどめる」という古語に由来するという説も有力です。断定はできませんが、「どっこいしょ」という何気ない一声の背景に、千年前の山岳修行の息づかいが眠っているかもしれない――そう想像してみると、少し面白くありませんか。

高尾山で「六根清浄」に出会える場所

高尾山薬王院境内の六根清浄の石碑
高尾山薬王院境内の六根清浄の石碑

高尾山を訪れれば、実際に「六根清浄」に触れる機会がいくつもあります。

薬王院の護摩修行

薬王院本堂では、毎日決まった時間に「護摩修行(ごましゅぎょう)」が行われ、読経の中にこの言葉を聞くことができます。一般参列も可能ですので、当日の時間に合わせて訪れてみてください。御護摩修行の時間帯の詳細は[[高尾山薬王院 完全ガイド]]に掲載しています。

境内の案内板・石碑

薬王院の境内や参道には、仏教・修験道の教えに関する案内板や石碑が多数あります。「六根清浄」という文字を探しながら歩くのも、高尾山ならではの楽しみ方の一つです。

登山道で聞こえる掛け声

高尾山の登山道、特に薬王院へ至る[[高尾山1号路完全ガイド]](表参道)では、今でも修験者や参拝者が呼吸に合わせて唱える姿を見かけることがあります。静かな森のなかで「六根清浄」という声が聞こえたら、ぜひ耳を澄ませてみてください。

薬王院や1号路への行き方は、[[高尾山1号路完全ガイド]]と[[高尾山口駅からのアクセス]]もあわせてご覧ください。

「六根清浄」を現代の生活に活かす

千年以上前から伝わる言葉ですが、「感覚を整えて心を落ち着かせる」という本質は、現代のマインドフルネスや瞑想と重なるところがあります。

情報量の多い日常のなかで、ふと目を閉じて深呼吸し、心のなかで「六根清浄」と唱えてみる。それだけで、視覚・聴覚・嗅覚……と一つひとつの感覚を一度リセットし、「今ここ」に戻る時間になります。高尾山という場所を離れても、この言葉はあなたの日常のなかで働いてくれるはずです。

よくある質問(FAQ)

Q
「六根清浄」の正しい読み方は?
A

ろっこんしょうじょう」と読みます。「根」は「こん」と濁らず、「清浄」は「せいじょう」ではなく「しょうじょう」と読むのがポイントです。

Q
高尾山のどこで聞けますか?
A

薬王院本堂の護摩修行の読経、境内の案内板・石碑、登山道で修験者や参拝者が唱える掛け声など、複数の場面で触れることができます。

Q
「どっこいしょ」の語源というのは本当ですか?
A

「六根清浄」が変化したという説は広く知られていますが、古語の「どっこい」から来たとする別の説もあります。確定した語源はなく、一説として親しまれているのが現状です。

Q
自分でも唱えてよいですか?
A

宗派を問わず誰でも唱えることができ、登山中や日常で気持ちを整えたいときに自然に使える言葉です。

Q
「六根清淨」と「六根清浄」はどう違いますか?
A

漢字の新字体と旧字体の違いで、意味はまったく同じです。古いお寺や書物では旧字体「清淨」が使われていることがあります。

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