写真家 小松由佳さん ~人間の土地へ~「自然の厳しさと豊かさのなか、祈りと感謝をもって生きる麓の民に心奪われました」

村井沙織
村井

こんにちは。ライターの村井砂織です。
今回は、日本人女性初のK2(エベレストに次ぐ世界第2位の標高を誇る山)登頂者で植村直己冒険賞を受賞した写真家 小松由佳さんのインタビューです。

2020年に出版された『人間の土地へ』では、山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞。
内戦勃発から平和な砂漠の暮らしが一転して難民となったシリアの人々の姿が、現地の男性と結婚して当事者となった小松さんの視点で描かれています。

『人間の土地へ』小松由佳著 (集英社インターナショナル)山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞作品。

私が小松さんに初めてお会いしたのは2012年、彼女が取材旅行の間、亀のハビちゃんをお預かりするというご縁でした。
そのときに拝見した小松さん手作りの作品集には、自然の豊かさと厳しさのなか、祈りと感謝を持って生を謳歌する人々の姿が描かれており、写真と言葉の力強さ、鮮やかさに圧倒された記憶があります。

小松さんのドキュメンタリー作品はどれも専門家の解説のようなものではなく、物語や詩のようなやり方で心を揺さぶりながら過酷な現実を突きつけてきます。しかし、本を閉じると、これは小松さんのお人柄なのでしょうか?粛とした透明感、清々しさのようなものが心に残るのです。

自らの命の危険を冒してまでK2登頂に挑み、紛争の地へ向かう小松さん。
今回は、そんな小松さんの原動力や大切にしていること、そして、シリア人の旦那様、二人のお子様との生活についておうかがいしました。

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登山家から写真家へ「ただ淡々とそこに生きている。人間の姿を追い求めたい。」

プロフィール
小松由佳(こまつ ゆか)フォトグラファー。1982年秋田県生まれ。2006年、世界第二の高峰K2(8,611m / パキスタン)に日本人女性として初めての登頂を果たし植村直己冒険賞受賞。自然とともに生きる人間の暮らしに惹かれ、草原や沙漠を旅しながらフォトグラファーを志す。2012年から、シリア難民の人々の生活を撮影。著書に『人間の土地へ』(集英社インターナショナル/2020年)など。2021年5月、第8回山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞。

小松さん

私の最初の記憶は、田んぼのあぜ道に座って、泥だらけになって働いている祖父母の姿を眺めているところ。そして、その遥か向こうには蒼々と雄大な峰が連なっていました。「あぁ! あの山を超えてみたい。あの山の向こうには何があるんだろう!」
知らないことを知りたい。見知らぬ土地で人々がどのように暮らしているか知りたい。そんな好奇心こそが、私を突き動かす原動力となっています。

ーー 小松さんは25歳まで、年間260日以上も山に登り、厳しい大自然と対峙なさっていました。その後は、麓の人々の暮らしへと関心が移られたとうかがいました。

小松さん:自分が大自然のなかで危険を冒すことより、厳しい自然の中で人間がどう生きているかが知りたくなりました。それからは山を離れて水平の旅に出るようになり、まずは自転車に乗って東京から沖縄まで、寝袋ひとつで旅をしました。
帰ってきてから、八王子市の磯沼牧場で働きながらモンゴルやシリアの草原や砂漠、中東のあちこちを巡り、2008年から土地と人間の暮らしを追う写真家を志すようになりました。

ーー そんななか、2011年にシリア内戦が勃発しましたね。

小松さん:そうなんです。「土地と人」というテーマでシリアを巡り、夫と出会ったときも砂漠の暮らしを撮影していたのですが …。成り行きのように難民の暮らしを撮ることになりました。

ーー ちょうどその頃、たくさんお話する機会がありましたね。お互いまだ独身で、心の深淵といった暗い話なども。恥ずかしくて、忘れててほしいくらい(笑)
そして、なにより旦那さまとの運命的な恋の話が衝撃的でした。砂漠の向こうからラクダに乗ってきた彼の瞳が忘れられないって。映画みたい。

小松さん:恥ずかしい! 全部覚えています(笑)

ーー あの時から不思議だったんです。小松さんって生命の危機や、内戦で引き裂かれた恋のお話をなさっても、どこか透明感というか、清らかな印象を残される。
今回『人間の土地へ』を拝読させていただいた後も、内容がとても苛酷なのに同じ気持ちになって「あぁ、小松さんだ。」って感じました。

小松さん:それは嬉しいです。元来の性格というか、無意識的なことも大きいと思いますが、被写体との距離感がそう思わせるのかもしれません。ドキュメンタリーは自分の気配を相手に感じさせないように入り込んでゆかないと、よい写真は撮れません。ユージン・スミスの書籍にそう書いてあって「本当にそうだな。」と共感しました。
報道写真家の書物は勉強になるのでよく読んでいます。あと、私自身がテレビの密着取材を受ける機会があって、そのときに、取材される側にも、とどめておきたい自分の領域があることを知りました。取材者は、相手との適度な距離感が大切なんだと。

ーー 私が感じた透明感は写真家として体得なさったもの。さらに、小松さんはその眼差しのまま、ご自身の人生を見つめていらっしゃる気配も感じます。
小松さんはこれまでも見知らぬ遊牧民、山岳民を訪ねて生活をともにしながら素晴らしい作品を残されていますが、取材中に不信感や恐怖感に怯えることはありませんか。だって、日本でも会ったばかりの優しそうな人の家に宿泊するとか、とても危険なことだから。

小松さん:「この人やばいな。」っていうのはわかりますよ。シリアでもそういう方とお会いしたことがあります。秘密警察という治安維持のためにスパイを取り締まる人達がいて、彼らの殺気は遠くから見てもわかります。
ヒマラヤ登山を続けていると第六感のようなものが開く瞬間があるんですけど、海外に行く時はそういった直観をとても大切にしています。

ーー 動物的な察知能力をお持ちなんですね。

小松さん:そう。この感覚は登山中に「雪崩や落石が起きそうだな。」と感じて眺めていると本当に起こる、という体験から鍛えられたように思います。ヒマラヤでは、危険に対して勘が鋭くないと命を落としてしまうこともあるので、そういう感覚が鋭くなると思います。

ーー いいえ、大半が鋭くなる前に遭難してしまいます。
では、そういった危機は避けられたとしても、空爆で破壊された街並みや人々の営み、不条理な社会体制に直面されて、怒りとか悲しみとか、ご自身の感情に押し潰されそうになることはありませんか。

小松さん:その混沌や不条理が、前提として受け入れられているような土地なんですよね。文明発祥地でもある地域で、古代からいろんな勢力が興亡を繰り返しながら、多民族多宗教が入り乱れて共存してきた。現地を訪れるたびに痛感します。

ーー 常に戦国時代のような地域ですものね。

小松さん:そうなんです。だから、ものすごく理不尽なことがいっぱい起こります。アラビア語で「ムシケル」という言葉があって「問題がある」という意味なんですけど、みんなびっくりするくらいこの言葉をよく使います(笑)
つまり、問題が起きまくる社会なんですよね。
彼らは、そういうことが当たり前な人生を生きている。そんな彼らの姿を見ていると、何でも受け入れて流していくというあり方を感じました。彼らは宗教的にも「起きたことはすべて神が与えたこと」というイスラム的な価値観の運命を信じているから、すべてを肯定して次に向かうことができるのだと思います。

ーー 小松さんはその土地の特性を素早く読み取り、我を捨ててその空間に溶け込んでしまう。この能力もさきほどの透明感の理由のひとつかもしれませんね。
では、そもそも、どうして、小松さんは身の危険を冒してまで現地に赴けるのでしょうか?

小松さん

えっ?危険だから行くんじゃないの?

ーー あれ ? 行かない人のほうが多いんじゃないでしょうか?

小松さん:そうですか。もちろん、危険な場に向かうためのリスクマネージメントはしっかりしていますが、どんなに気をつけても運不運があるから、その時が来たら受け入れるしかありません。
ただ、私は危険だから手にできるものがある。価値があると感じています。K2登頂も達成できるか解らないから挑戦したいと思いました。未知の領域だからこそ、魅力的で胸が高鳴るんです。

「ラドワンとの結婚生活は、未踏峰のヒマラヤ登山って感じです(笑)」

ーー 『人間の土地へ』の第1章。K2の8200メートル地点にて。大自然の非情さと美しさが交差する風景描写が素晴らしく、登頂の場面も大変引き込まれました。生と死の分岐点で小松さんは “命が存在することの無条件の価値” に気づかされたと。

小松さん:そうです。何かを成し遂げなくても、ただ、人間がそこに生きて存在しているだけですでに特別だという命の尊さです。

ーー 私たち日本人は、自己実現のための努力や成果に重きを置きがちです。肩書きがそのままアイデンティティだったり「頑張ってる自分にご褒美」とか、よく聞きますものね。

小松さん:民族的な傾向かなと思います。日本人は農耕民族だから、秋の収穫のために、先々の実りのために頑張るじゃないですか。だけど、夫を見ていると全然それがないんです(笑)
先々のために今から頑張るという価値観自体があまりありません。ルーツは遊牧民なので、今をいかに豊かに過ごすかが人生における醍醐味だからです。

ーー ならば、旦那様と出会ったときは衝撃的でしたね。

小松さん:そうなんです。ラドワンからは人間が文明を手にする以前の感覚を教えてもらっているようでした。彼らが生きている砂漠は地図上ではただの砂漠ですが、ラドワンは砂粒の色や大きさで砂漠を見分け、沙漠ごとに語り伝えられてきた物語を知っていました。家族が所有する百頭以上のラクダもすべて見分けている。砂漠での暮らしを心から愛し、誇りを持っていました。

ラドワン
ラクダを放牧するラドワン。彼は家族が所有する100頭近いラクダの全てを識別できたという。

ーー 素敵ですね。ただ、そこに嫁に入ろうっていうのは、ものすごい決断だと思います。

小松さん:結婚は内戦が起こっていなければ難しかったと思う。彼はイスラムの伝統的な大家族で、多いときは60~70人くらいで同居していました。義母はなんと23回も出産しましたが、砂漠のテントや自宅出産のため7人が幼くして亡くなり、夫は16人兄弟の12男でした。親族間の慣習や財産を守るために親戚同士の結婚が多い家系でしたから、ムスリム(イスラム教徒)でない日本人との結婚は型破りもいいところ。夫が難民になり、家族から単身離れたことで奇跡的に叶った結婚ではないかな。

ラドワンと生きるなら、一生苦労が絶えないだろう。だが、それで良かった。むしろ、予測不可能がつきまとうことに痺れるような喜びを感じた。それは未知の山へ、新しい一本の道を拓くような純然たる思いだった。ラドワンはまさに、私にとってヒマラヤの峰のような存在だったのだ。

『人間の土地へ』より

ご結婚とともにイスラム教に改宗なさった小松さん。
目に見えない調和に神性を見出すイスラムの教えに共感するとともに、改宗なさったことで、ご自身が日本のアニミズム的な宗教文化に深く根差していたことに気づかれたとか。

村井沙織
村井

それでは、未踏峰のラドワンさんとの未知なる結婚生活について、おうかがいしたいと思います。

私たち夫婦に必要なのは、理解し合えなくても認め合う”穏やかな共存”

ーー お二人の間には、二人の可愛い男の子が誕生されました。現在の日本での生活はいかがですか。

小松さん:シリアでのラブロマンスも、結婚8年目ともなるとサスペンスやホラーに近いかも(笑)

ーー やはり文化の違いが色濃いですか? 砂漠で生きていたラドワンさんにとって日本はとても狭く感じるのでしょうね。

小松さん:日本に来てすぐは、自然豊かな場所が良いだろうと二人で神奈川県相模原市の藤野に住みましたが、逆に人が少なくて土地に馴染めずダメだったみたい。家族や同郷の友人と一日8時間以上zoomする以外は引きこもってしまって。それで、モスクがある八王子に引っ越しました。モスクはイスラムの祈りの場であり、イスラムコミュニティの核でもあるんです。ここでルーツが同じ人々と繋がることで、夫も次第に心が安定してゆきました。

ーー 旦那さまは、お仕事はなさっているのですか。日本社会に溶け込むのは大変そうです。

小松さん:それ以前に、お金がなければ生活できないことに驚いたみたい(笑)

小松さん:シリアでは大家族が所有する果樹園やラクダの放牧、サンドイッチ店ほか、男性はそれぞれが自分の役割をこなすことで、生活が成り立っていましたから。シリアでは女性は外で働かず、家事育児に専念するのが一般的です。
日本人とは経済的価値だけでなく、文化の根底というか、豊かさの定義がまったく違うんです。効率の良さ、利益を最優先する日本の会社では、注意されてもその意味が分からず戸惑っていました。日本では働くことに効率性や完璧さを求めるということが、当初分からなかったようです。30社ほど入ってはすぐに辞めてを繰り返しましたね。

ーー 30社ですか。それは精神的にも大変でしたね。小松さんはどう対応なさったんですか。

小松さん:仕方ないと思いました。だって彼は砂漠から来たんです。太陽の高さで時間を知る習慣から、分刻みに動くのは大困難。彼の履歴書の職歴欄は「ラクダの放牧」「日干しレンガ作り」ですから(笑)
そして、なにより、多くの難民がそうであるように、かつての暮らしから切り離れたことによるアイデンティティの喪失が、最も苦しいことなんだと思いました。
現在は、おかげさまで、中古自転車をシリア難民に輸出する仕事をアラブの仲間たちと始めることが出来ました。

ーー わぁ、すごいですね。おめでとうございます!

小松さん:ムスリムの誇りや文化を尊重した働き方が実現でき始めています。どうしても、日本人である私に経済的重圧がかかりつつも、なんとか生活していますよ。

ーー 困難の多い状況下、小松さんが旦那様の深い部分を理解なさっていることが素晴らしいし、助けになってますね。小松さんの人を変えようとしないところがご立派です。

小松さん:いや、さすがに…。次男が生まれたときは育児と家事と仕事の両立が大変で、夫に詰め寄りました。
だけど夫は、アラブ民族の価値観で、男性が家事や育児に関わるのは恥ずかしいことだと譲れず、さらに心の余裕を持つことを大切にしているので経済的キャリアにはまったく興味なし。彼の仕事場に行ったら、ぼんやり空を眺めてる時間が長かった(笑)

ーー サボっているのではなくて、民族的な傾向であるということ。
食生活はどうなさっているんですか。

小松さん:夫は基本的にはアラブ料理しか食べません。イスラム教は豚肉を厳密に禁じているので加工食品に入っているポークエキスもダメなんです。アラブ料理は女性が何時間もかけて作る料理(例えば、小さなブドウの葉でお米とひき肉を一枚一枚巻いて炊き込むなど)が多く、羊や牛肉、野菜をたくさん使うので、忠実に再現しようとすると、家族四人で1日8,000円以上かかることもあります。
だから夫には私流のアラブ料理もどきを作って、自分と子供たちには日本の家庭料理を作っています。

ーー 小松さんすごい! なかなかできないですよ。

小松さん:だけど、夫は私と結婚して難民キャンプにいたときより体重が落ちました。トルコに行くと10キロくらい太って帰ってくる(笑)

ーー 本場は脂の量が半端ないからです。
ところで、ラドワンさんは小松さんを変えようとするのですか?

小松さん:不満が飛んでくることは多々あります。例えば、イスラム社会では、女性の髪は性的なアピールとされるので、髪をビジャーブ(スカーフ)で隠すことが義務になっています。結婚当初は「由佳もビジャーブしてくれ。」とよく言われました。

ーー なんか、かわいいです(笑)

小松さん:文化としては理解したい、リスペクトしたいと思っているのですが、私は形式的なことよりも本質を理解した上で、納得してから行動したいと思います。そもそも日本では、アラブ社会とは気候も価値観も歴史も違います。ヒシャーブの件では、二年ほど夫と話し合いをしました。

ーー 小松さんの勝ちですね。というか、やっぱり、お互いに歩み寄っていらっしゃるのですね。

小松さん:夫婦喧嘩を重ねるうちに、お互いが自分の文化から物事を見ていることに気づきました。「日本の男性みたいに働いてほしい。」「アラブの女性みたいに振る舞ってほしい。」と強要し合っている。
自分の文化に則って相手を判断すると本質を見誤ってしまう。民族的背景の違いをパートナーの尊厳として認めることで、異文化夫婦は共生し合えると感じています。理解し合えなくてもお互いを認め合う。”緩やかな共存”というか。

ーー とても大切なこと。この考えかたは、もはや全人類に必要ですね。

小松さん:そうですね。ただ、嫌なことは嫌だと言わないと共生はできません。

ーー それはそうですね。

小松さん:例えば、イスラム社会にはDVという言葉がないんです。取材に行くと、夫婦、親子、兄弟、友達間で叩き合っているところをよく見かけます。最初は胸が痛みましたが、シリア人にとっては日常的なことです。

ーー かつての日本もそうでした。古い映画を観るとドキッとすることがあります。

小松さん:私が夫に叩かれて心が傷ついたとき、アラブ人の女友達に相談したら「女なんだから、叩かれるなんて普通でしょう」と逆に諭されました。だけど、文化だからと割り切れるものではありません。やはり、今ここを生きている自分の感性を大事にしたいです。私は暴力は絶対に嫌なので、夫に誓約書を書いてもらいました。

ーー 小松さんご夫婦のお話をうかがっていると、お二人の民族的背景が違うぶん、たくさんのご経験、会話を重ねていらっしゃいますね。

小松さん:ラドワンからは、何か一つの相違が起こっても、長い時間軸のなかで解決してゆくことを学びました。夫婦は距離感も大切だと思っています。

ーー 長期的に相手を見つめることは、愛がないと出来ないこと。
夫婦の秘訣とドキュメンタリーフォトの真髄はなんだか似ていますね。お互いのスペースを尊重するという点で。

小松さん:まさに。突き詰めると共生です。難民問題にも通じますね。

ーー お二人は、どこで通じ合ったのだと思いますか?

小松さん:言葉にするのは難しいけど、宗教を超越した人間としての共通性を感じたのだと思います。砂漠に立ってラクダの世話をしていた時のラドワンは大自然で生きる知恵を持っている人。私が心から知りたかったことを知っている人でした。

村井沙織
村井

彼はなんておっしゃっていますか? 小松さんのこと。

小松さん

どこに惹かれたか結構聞いてるんだけど、毎回「よくわからない」「運命」と、曖昧に片づけられてしまいます。

小松由佳写真展『シリア難民 母と子の肖像』

母と子の関係を撮ることで浮き彫りになる社会。

2021年、トルコ南部にてシリア難民の取材中の小松さんと右下が長男のサーメル君、中央が次男のサラーム君。とても可愛らしい。

小松さん:人間は生きる時代や社会、土地によって変わっていくもの。夫の家族ももとはイラクの遊牧民で三世代前までベドウィン(砂漠の民)でしたが、定住化して今があります。そして、現在、大家族は離散して、義父は亡命先で他界し、義母と親しい兄弟はトルコで難民生活をしています。

ーー このコロナ禍、小松さんは五歳と二歳の子連れ取材をなさったんですよね。そのときの映像を拝見しましたが、いろいろな意味で衝撃的でした。ぜひ大勢の方々に観ていただきたいです。

小松さん:コロナ禍だからこそ取材したいと思い、万全の注意を払って向かいました。どえらい子連れ取材となりましたが、やはり、得るものは大きかったです。
シリア人の血が入った子供がいることもあって、年々、人々とより深い絆ができています。(子供がいなくなったら問題を起こして)取材を中断せざるを得ない事態のほうが多かったですが(笑)

ーー まさに、この時期にしか出来ない体験をご家族でなさったのですね。
そのとき撮られた作品展をこの冬に開催されますね。タイトルは『シリア難民 母と子の肖像』

小松由佳写真展 2021年12月10日~16日 富士フォトギャラリー銀座

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小松由佳 写真展『 シリア難民 母と子の肖像 』

会期:2021年12月10日(金)~16日(木)
 平日: 10:30~19:00
 土日: 11:00~17:00
(最終日は14:00まで)

ギャラリートーク開催:
 各20分。12/10(金)・11(土)・ 12(日) 13:00~。
 新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、開催を中止する場合があります。

会場:富士フォトギャラリー銀座
http://www.prolab-create.jp/gallery/

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小松さん:トルコ南部に暮らすシリア難民の”母と子”の関係性に焦点を当てた写真展です。夜の暗がりのなか、懐中電灯を使い撮影しました。懐中電灯係として活躍したのは二人の子供たちで、この作品は私たち家族にとっても「母と子の肖像写真」でした。

ーー  “母と子”をテーマにした理由をお聞かせください。

小松さん:さきほどもお話ししたように、基本的にアラブの男性は家事、育児に参加しません。さらに、祖国を離れたことで、大家族からみな核家族化し、もともと絆の強かった母と子の関係性が、より強くなっている。それに加え、内戦によって人々が抱える苦しみや困難さが、母親と子供の関係性のなかにより顕著に見られるようになりました。
それぞれの母と子の物語を知ってもらうことで、難民の抱える困難さや複雑さ、それを取り巻く社会の姿を伝えたいと思います。

ーー 内戦中の出産や育児は、想像を絶するのでしょうね。

小松さん:シリアでは戦闘が続き、病院で出産できなかったことから虚弱体質や障がいを抱える子供も多く、お父さんお母さんが空爆で大怪我を負い、働けないケースもあります。
内戦とコロナで他者との交流が絶たれて身動きできない方々もいらっしゃいます。
母と子、それぞれの物語を通して、人々が抱えている目に見えにくい領域を可視化したいと考えました。

ーー 小松さんの尽きることのない胆力、バイタリティは、どこから来るのでしょうか。

小松さん:この写真展は、私自身への渾身の一撃でもあるんです。貯蓄がすっからかんになるだろう経済的な一撃でもあり、一方で「コロナにやられている場合ではない! 未来へと突撃するのだ!」という、覚悟の一撃でもあります。

取材の最後に

取材が終わり、小松さんと別れて『人間の土地へ』を読み返したとき、巻頭にサン=テグジュペリ『人間の土地』からの抜粋が記されていることに気づき、思わず微笑んでしまった。
小松さんのこれまでの歩み、生きる姿勢が、その一文で表現されていたからです。

村井沙織
村井

高尾の麓に、また素敵なフモト民を見つけました。
小松由佳さん、これからもシリアの人々について、人間の営みや共生について、そして、ご家族との暮らしについて、たくさんのお話しをお聞かせください。

小松由佳さん 関連サイト

公式サイト:https://yukakomatsu.jp/
Facebook:@yuka.komatsu.0922
Instagram:@yuka_komatsu_photography/

Photo by 山本ミニ子( にちにち寫眞主宰
Written by 村井砂織( 有機スパイスシロップ屋 ほっぺた主宰
Produced by 佐藤秀之( WEB参謀のSpyral

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