八王子が養蚕で栄えた背景

八王子市は、養蚕や織物で発展してきた歴史があります。 その背景には、地理的な条件や歴史的な経緯があります。 簡単に説明しますね。

まず、八王子市は関東山地と武蔵野台地の境に位置し、山がちで耕作地が少なかったため、養蚕や機(はた)織りは、古くから農家の大切な副業でした。

八王子市の北部には桑畑が広がり、繭(まゆ)や生糸の生産が盛んでした。 また、八王子市は桐生(きりゅう)や足利(あしかが)などの織物技術の先進地や、江戸という大消費地に近く、織物業が発展するにために、地理的にも有利な条件がそろっていました。

次に、八王子市は歴史的にも織物業に適した環境でした。 江戸時代には八王子十五宿が開設され、毎月4と8の日に市(いち)が開かれて、周辺の村々から繭や生糸、織物などが集まるようになりました。 この市(いち)は「縞市」と呼ばれ、八王子の織物を全国に広める役割を果たしました。

また、八王子市では江戸時代末期から明治時代にかけて、染色技術の向上や新製品の開発などを行い、近代化に取り組みました。 明治時代後期には力織機(りきしょっき)が普及し、工場制工業の段階へと移行しました。 大正時代から昭和時代にかけては多様化する需要に応えるために、婦人物着尺(きじゃく)、ネクタイ、多摩結城(たまゆうき)、輸出織物などを生産しました。

以上のように、八王子市では地理的な条件と歴史的な経緯が相まって、養蚕や織物が発展してきたと言えます。

▼ 参考サイト
八王子織物の歴史|八王子市公式ホームページ. https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/002/p005302.html
桑都日本遺産センター 八王子博物館 – 八王子市公式ホームページ. https://www.city.hachioji.tokyo.jp/shisetsu/003/hachihaku.html
日本遺産「桑都物語」|八王子市公式ホームページ. https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/takaosann/p026714.html

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